初出 メールマガジン『ルビュ「言語文化教育」』497号 https://www.mag2.com/m/0000079505 発行日:2014年6月13日 発行所:言語文化教育研究所 八ヶ岳アカデメイア http://gbki.org/ ■ この本がおもしろい ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 真の「教育」活動の一環としての評価のあり方を考える                               熊谷 由理 ---------------------------------------------------------------------- 書評:市嶋典子『日本語教育における評価と「実践研究」―対話的アセスメン ト:価値の衝突と共有のプロセス』ココ出版,2014年 ●Amazon.co.jpにジャンプ:http://gbki.org/ichi.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 私は,米国の大学での日本語教育に長い間携わっている。私自身の教育実践で は,批判的理論をその根底に据え,言語や文化という概念を固定的には捉えず, また「能力」もひとりの個人に内在するものではなく,他者との関わりの中で 協働構築されるものであるという考えのもとに,様々な教室活動を試行錯誤し ながら行なってきている。日本語教育における評価に関しても,拙著『日本語 教育とアセスメント』(佐藤慎司と共編)において,代替的アセスメントや学 習者を巻き込んで行なう評価活動の意義などについて考察してきた。そんな中, 毎年,日本語教育関係の学会で,自分の実践について発表をする機会があるの だが,質疑応答の場になって必ずといっていいように聞かれるのが「評価」の 問題である。「その活動は成績全体の何パーセントに当たるのか?」「『ピア 評価』『自己評価』はどうやって点数に換算するのか?」「評価を学習者自身 にも委ねるというのは教師としての仕事の放棄ではないのか?」…。このよう な質問の根底には,日本語教育の領域に「評価とは成績(=点数)である」 「評価とは教師の占有すべきものである」といった根強いビリーフがあること が明らかである。本書『日本語教育における評価と「実践研究」―対話的アセ スメント:価値の衝突と共有のプロセス』は,そのようなビリーフに大きな揺 さぶりをかけ,発想の転換を迫る力作である。 本書は,「はじめに」とそれに続く8章で構成されている。まず,第1章「評 価とは何か」では,教育の領域での評価の類型として,(1)「実態把握」, (2)「測定」的な性格を持つもの,(3)「目標達成性の把握」,(4) 「査定」的な性格を持つもの,の4つがあることを示し,日本語教育での評価 研究では上記の(2)(4)について考察されたものがほとんどであり,教育 的な観点からの考察研究((1)(3))が少ないこと,つまり教育実践と評 価が乖離している状況を問題点として掲げている。その上で,第2章,第3章 では,日本語教育学会発行の学会誌『日本語教育』1号(1962年発行)か ら146号(2010年発行)に発表された全論文中,「評価」に関する論文 (第2章)と「実践研究」論文(第3章)を抽出し,その内容分析の結果を記 している。日本語教育学の分野で権威を持つとされる『日本語教育』の論文内 容の分析を通して,過去約半世紀における「評価」の扱われ方とそのパラダイ ムシフト,「実践研究」の意味付け,そこでの評価の捉えられ方やその変遷を 系統的に示すことで,測定的・査定的な評価への偏重という傾向や教師自身の 教育観が明確に示されないまま目標設定がされている実践活動といった根強い 問題点が説得力を持って読者に示されている。 続く第4章では,教師が自分自身の実践を研究する際には,「実践研究者」と しての「当事者性」を引き受け,教師を含めた教育実践を記述することの重要 性を指摘している。第5章においては,筆者が行なってきた相互自己評価活動 に対する学習者の認識をインタビューデータの分析を基に理論化し,評価の基 準や意義を教室参加者みなで対話を通して共有することの必要性を論じている。 第6章では,バフチンの「対話原理」の概念を詳しく分かりやすく紹介した上 で,筆者の志向する評価活動のあり方を具現化した「対話的アセスメント」を 提起している。「対話的アセスメント」とは,「価値の衝突と共有を含んだ対 話に基づいて,アセスメントの目標や基準を関係的に創り出し,更新し続けて いくプロセス」(p.140)であると定義されている。 第7章は,筆者の提唱する「対話的アセスメント」を実際に組み込んだ日本語 教育実践において,教師をも含む実践参加者間でいかに価値の衝突と共有のプ ロセスが進行したか,また教師が提示した評価基準をどのように学習者らが自 分自身で言葉に捉え直していったかを,ティーチングログ,教室談話,学習者 の産出物の分析から詳述に描き出している。第8章は,7章までの知見を再考 察し,筆者のめざす「対話的アセスメント」の意義,そして今後の課題のまと めとなっている。 本書は,私にとって大変読み応えのある一冊だった。一章一章と読む進める中 で,筆者が「対話的アセスメント」を提唱するに至ったプロセスを鮮明に目に することができる。自分自身の教育観を深く認識し,日々の教育実践での葛藤 や喜びをしっかりと心に留め,教育実践の一部である評価の本来あるべき姿を 真剣に探索・追求していった結果が,この「対話的アセスメント」であると実 感した。筆者は「実践研究とは,教師の教育観を明確にしていくプロセスであ る」と何度か本書の中で訴えているが,本書はまさにそのことばを体現してい る。 筆者も今後の課題として挙げているように,成績と評価の関係をどう捉えてい くかは難しい問題である。教師が自らの実践現場での「対話」を礎に評価活動 を設計し試行し続ける中で,制度に規定・制御されるのではなくその制度自体 をも変革していくことが,日本語教育に何よりも重要であることを,本書は読 者に力強く訴えかけている。成績や点数付け,学生の振り分けを目的とした 「評価」ではなく,真の「教育」活動の一環としての評価のあり方を模索して いる一人でも多くの(日本語)教師の方々に,本書を一読されることを心から お勧めしたい。          (くまがい ゆり:スミス大学 東アジア言語文学学部) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━